留学, 異文化理解

アメリカ留学後の逆カルチャーショック

 

1年間に渡るアメリカ留学を終え、俺はようやく日本へ帰国するフライトに乗っていた。

(別の記事で話すが、涙のフライトであった)

 

アメリカから日本への約10時間を超える超ロングフライト。

夜行便であったので、機内は暗く、ただほぼ満員に近かったため、

心の余裕というものはあまり無く、少し息苦しさを感じながらのフライトであった。

超濃密な1年間を振り返り、出会った人々に思いを馳せながら。。。

 

 

 

 

長時間に渡るフライトをようやく終え、約1年ぶりの日本。

東京、成田空港。

到着した頃には既に朝であり、当時暑い日差しが指していた、初夏の日本。

久しぶりの懐かしい空気に、感慨深いものを覚える。

日本に帰ってきたのだと、そう感じる。

飛行機を出てから税関までの道の頭上に、「おかえりなさい」

と書いてある表示を観ながら、帰ってきたと強く認識する。

将来への不安などはなぜか無く、不思議と希望に満ち溢れ、

これからの明るい自分の将来を暗示しているかのような朝だった。

 

 

 

空港のBuggage Claim(手荷物引き取り所)で最大重量の

大型スーツケースを引きずるようにして何とか運び出す。

確か80kgくらいはあったかと思う。

平坦な道は何とか運べるのだが、階段がきつい。

空港を出て、電車で東京駅に向かうが、既に俺は何か違和感を感じ始めていた。。。

・・・

・・・

 

 

電車内でふと気づいたのだが、

車内が異様に静かだと感じた。

いや、そりゃ電車内は静かだろう!そういう場所だろう!と思うかもしれない。

ただ自分にとっては、そんな空間はアメリカからしたら異様な光景に思われ、

必ず誰かがよく喋っているのが普通だったからだ。

みんな、静かにして何も喋らず、ただ携帯やスマホをいじっているだけなのが

あまりにも衝撃的だったのだ。

なんでこんなに静かなのだろうと。

なんで誰も一言も喋らないのだろうと。

アメリカでは、知らない人同士でも普通に世間話をしたりする。

まあ、そんなに誰構わずという訳では決して無いが、

友人に話すような感じで、カジュアルに話しかけるのが結構日常的だ。

彼らは本当に良く喋る人が多いと感じたし、

他人同士の距離がすごく近い場合が多い。

そう感じていたし、そのカジュアルさは自分自身かなり好きな方だ。

当時、自分には電車内の静けさがかなりショッキングに映ってしまい、

なんで誰も喋らないの?俺がおかしいのか?

という感覚に本当に陥っていた。

これは誇張ではなく、マジでそう感じていた。

そう、既に、アメリカ帰りの逆カルチャーショックが出始めていたのだ。。。

 

 

 

長時間フライトであったが、ロクに飯も食べてなかったので、

東京駅についた頃にはかなり腹が減っていたということに気づく。

駅について、新幹線に乗る前に駅弁を買おうと、

重いスーツケースを引きずりながら、売店エリアへも向かっていく。

弁当をレジへ持っていき、レジの店員さんに代金を支払う。

その時、またもや異様な違和感が俺を襲う。

 

 

。。。敬語だ。

その丁寧過ぎる言葉に、俺は驚いてしまう。

なんでこんな丁寧な言葉で話すんだ?

俺そんなたいそうな弁当買ってないぞ!

高級ホテルじゃあるまいし。。。

 

 

普段から、日本で暮らしている人からしたら、ごく普通の敬語だ。

接客業なら、ごくごく普通の話し方。

普通に日本で生活している分には、全く気にも止めないだろう。

その接客時の普通の敬語に対して、俺はものすごく過剰に反応していた。

正直言うと、この店員さんとの間にもの凄く距離を感じてしまった。

(あ、物理的な距離じゃなくて、精神的な距離ね)

カジュアルの反対、つまりフォーマル。

フォーマル過ぎるが故に、逆に距離を感じてしまう。

いやまあ、たかだか接客時なんかに親しさや近い距離感なんて求めないし、

そんなん必要ないでしょ、と思うかもしれない。

思うかもしれないが、なんか、その丁寧な言葉が少し冷たく感じてしまったのだ。

もっとカジュアルに、近い距離感を感じさせる喋りかたの方が、

より親近感が湧くし、気持ちいい接客なんじゃないかなと。

勿論、高級ホテルとかVIP待遇されるべき場や状況であれば、

それなりの丁寧な言葉遣いが必要とされるが。

ある意味、あのアメリカの少し砕けた感じ、ある意味で近い距離感を感じさせる、

そんな接し方・話し方に慣れてしまったのかもしれない。

日本ってこんなに丁寧な言葉遣いなんだと。

 

 

ただ、日本国内でも結構温度差があったりして、

東京などに比べると、大阪を初めとして関西の方が、より砕けた感じの

話し方の人が多い気がする。

もちろん、関西弁という言葉そのものの特徴もあるが、親近感が湧く喋り方というか。

春樹は関東・関西両方に住んでいた経験があるので、その違いは良く分かる。

そういう意味で、関西の方がよりアメリカに近い感じがする。

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