コラム・独り言

年齢なんか気にするな(老いを受け入れて生きる)

 

ふとしたきっかけで、飛行機や電車で見ず知らずの人同士が会話を始めた時、日本人が一番気になる点は、年齢らしい。(どこかで聞いた話だが、他の国の人は一番気になるのは年齢ではないらしい。確か他の国では、宗教とかだったと思う)

 

まあそれほどまでに、特に日本人は年齢というものに敏感になっているというか、気になる、知りたがるものである。年が一つでも上なら敬語とか、正直バカバカしいなと思ってる。別に、生まれたタイミングが違ったり、生きてきた期間が長いか短いかのみで、その人の価値や優劣、偉いかどうかが決まるわけではないよね。

 

自分の身の周りでも、年上だけれど尊敬出来ないしょうもない人は居るし、一方で自分よりもずっと年下なのにも関わらず、尊敬の念がこみ上げてくるような人は沢山いる。寧ろ、自分の偏見かもしれないが、最近は若い方が優秀な人が多いのでは?と思えてくる。

 

もちろん、年配の方がみんな駄目とかそういう極端な話ではない。今の日本や、世界の秩序・快適さを享受出来ているのは先人が積み上げてきたものの成果である。年上の方が知識が多く、経験豊富な人も多いし、彼ら・彼女ら年配や年上の方から学ぶことも多い。

 

ただそれは認めた上で、老人・年上としてはそういう経験や知識と言った秀でた点があり、若者には若いなりのまた違った秀でた点があり、飽くまでそれぞれ役割分担しているだけで、単に年齢だけで優劣や序列を判断するのは、単調な考え方だと思うのだ。思考が幼いというか、近視眼的というか、考え方が非常に固いと言うか。年齢ばかりに囚われては視野が狭くなってしまい、つまらない人生になってしまうのではと思う。年齢は飽くまでその人を形作る一要素であって、日本ではもっとその年齢による判断基準の優先順位をもっと下げていいと思う。もはや、履歴書やプロフィールで年齢を非公表にするのが当たり前の世界だって、ある意味ありかなと思う。年齢関係ない、純粋な評価基準。これはある意味シビアな世界だ。

 

年功序列というシステムも機能しなくなってきている。もう世界では通用しない古い制度だ。

 

若者にもよりチャンスがある世界になってほしいし、年配はあぐらをかいていたら自分のポジションが危うくなり、下の年代の人達から突き上げられて居場所を奪われるなんてこともあるかもしれない。より実力主義の世界になって欲しいと個人的にも思う。

 

 

そして、年を取ることに絶望する必要も、落胆する必要もない。見た目が老いる事を悲観するのであれば、日頃から食事・睡眠・運動に気を使い、老いが表面化しにくい生活を送るべきだ。(自分は実際そうしている)老いることそのものが怖いというより、それを受け入れた上で、心も体も若々しく生きていたい。正直、早死にしてもいいと思っているが、ただ見た目は出来るだけ若い状態をキープしたいと個人的には思っていて、最近は筋トレや運動に力を入れている。自分の場合は、そうやって少しでも老い見せないようなコントロールをしていくつもりだ。

 

 

 

あとは心だ。老いとは肉体年齢ではなく、心の持ちようであると。

 

青春とは、人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さを言う。

青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、 熱情は、失えば心はしぼむ。 苦悶や・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、 脅威に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。 君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。 人から神から美・希望・喜び・勇気・力の 霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、 悲嘆の氷に閉ざされるとき、 20歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春にして已む。

           ーサミュエル・ウルマン

 

 

 

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