コラム・独り言

留学後、海外大学院進学を諦め、商社マンとしての道を選んだ経緯

 

当時の自分は、相当に狂った、偏ったものの見方をしていたのだろうか。

大学在学中での海外留学1年間を経て、とにかく、海外と関わる仕事、英語が使える仕事に就きたい、と漠然と思っていた。

 

今まで培ってきた英語力と、海外での経験をこれからの就職に活かしたいと、そう思っていた。

このまま、せっかくの海外での経験を無駄にしたくない。

 

 

大学院進学という道

米国など海外の大学院に進むという道もあるにはあった。

というか当時は寧ろ、そちらの進路に自分の意識は傾いていたのだ。

ただ、日本社会にどっぷりと浸りきって、その世界から抜け出せなくなる、そんな将来の自分に怖くなっていた。そんな自分がいた。ただ単に、就職したくなかっただけなのかもしれない。

 

 

気づけば、海外大学院をひたすら探していた。

当時、自分は大学4年生で時期は7月を迎えようとしていた。初夏の季節。

大手企業は一部の企業では、もう既にとっくに内定を複数個もらって、就職活動を終えていてもおかしく無い時期だ。そんな時期に、自分は就職する気はなく、ひたすら海外と繋がっていたい、このまま英語を使わずに英語力をお衰えさせたくない、そんな気持ちだった。

ただ、具体的に何かしたいこと・学びたいことが明確になっている訳ではなかった。漠然と、当時興味のあった環境関連の分野に関して、海外で勉強したいという気持ちがあった。ただそれも、そこまで強いものではなく、何か明確な強い意志のようなものがある訳ではなかった。

 

 

ゼミの教授からの厳しいアドバイス

大学の当時のゼミの教授にも相談してみた。そんな考え方は甘い、と一蹴されてしまった。まあ、当然と言えば当然だったのかもしれない。その教授は、大学在学中の留学を経て、海外の魅力に取り憑かれ、大学卒業後に就職せずに、そのまま海外の大学院に入り直す人は少なくないことを聞かされた。そして、それらの人々は、明確な意志や目標に欠けていると、海外のレベルについていけず挫折したり、収入が滞ったりしたりして、留学生活を続けていくこと自体が難しくなっている人も多いと聞いた。そんな話を、その教授はたくさんの卒業生から聞いてきたらしい。

だから、お前にはそんな目には会ってほしくない。決意するなら、それなりの覚悟を持って、学ぶべきことを明確にしてからだと、忠告を受けた。留学に取り憑かれ、その魅力に引きずられた人間たちの末路は、想像以上に厳しく、困難と多忙を極める道だと知らされたのだ。

 

 

大学スタッフからの意味深な助言

留学前に、当時お世話になっていた、大学内にある留学支援部署のスタッフにも相談した。彼には当時から色んなこと、特に留学を受ける試験などに関して、親身に相談に乗ってくれた人だ。彼にも、海外大学院進学を考えていることを伝えた。彼は、実は就職前に、海外の大学院で4年間ほど勉強し、その後就職したということを、その時初めて知った。正に、自分が辿りたいと思っていた道を歩んでいる人が、こんな身近にいたなんて思いもよらなかった。彼は、しばらく悩みながら、静かに自分の本心をこう伝えた。

 

「自分は、就職する前に大学院に行ったことを、後悔している」

 

その時、なぜかその理由をはっきりとは語ってくれなかった。

ただ、就職した方が絶対良い、ということを自分に伝えたかったという気持ちは強く感じた。正直、今までの彼のテンション・様子が明らかに違うのを感じた。その時の自分は、その理由がわからなかったし、わかろうともしていなかった。ただ、何故か彼は俺に、彼が後悔しているということを、本気で、本心で伝えたかった、そう感じた。

 

 

アメリカの友人からの一言

留学していた当時に知り合った、アメリカ人の友人にも相談した。彼女はいつも自分の相談に親身になって聞いてくれ、アドバイスをくれたし、自分も彼女から相談を受けることが度々あった。恋人ではないが、ギャグもお互いに気持ちも素直に言い合える、アメリカ留学中で、数少ない信頼出来る友人の一人だ。彼女は地頭も相当良いが、何より親身になっていつも相談にのってくれた。薄っぺらい表面上のアドバイスやコメントではなく、真剣に考え、的を得た助言をいつもくれたものだった。

彼女にも、自分の当時の悩みを打ち明けた。自分が大学院進学と、就職の間で振れ動いていること、そしてなぜ就職を拒んでいるかということも。企業の中で埋没してしまうのではないか。安住してしまうのではないか。

その中に閉じこもって、その企業色・組織の色・日本の典型的な文化にどっぷり染まって帰ってこれなくなってしまうのではないか?ある意味、自分は恐れていたのかもしれない。

自分が悪い方向に変わってしまうことに。

留学時代の自分の姿をよく知っている彼女はこう言った。

 

「あなたはそんな人間じゃないし、安住するような人間じゃない。

 きっとそれらに染まりはしない。そう信じてる。」

 

誰かの助言が欲しかっただけなのか。後押しが必要だったのか。誰かのそういう一言が欲しかっただけなのか。

自分の中では既に答えは出ていたのかもしれない。

 

翌日から、自分は就職活動に向け動いていた。。。。

 

 

 

就職活動スタート

就活における条件はただ一つ。

「英語を使って海外と仕事が出来るか。海外出張出来るかどうか」

もうはっきり言ってこれだけだった、本当に。微塵も誇張はしていない。

そうなると、商社やメーカーに絞られてくる。

 

大企業で歯車の一部として扱われるのは何となく嫌だと感じていたので、敢えて小さめな企業を探していた。少数精鋭部隊。というか、就活を始めたのが、大学4年生の10月だったので、そんな大きな企業はもはや残っておらず、ほとんど選考を終えている企業がほとんどだったのもある。まあ、だから当時の自分には、就職活動を始めるのが遅いことが、デメリットにはあまりならなかったのだ。不思議と、焦りは感じていなかった。

 

目標として、1ヶ月以内に最低1社から内定をもらうこと掲げた。普通に就職活動をしている人からすると、本当にアホらしく聞こえると思う。そんなん無理でしょ、あまりにもハードルの高い目標じゃないか、と。ただ、なんとなく目標設定は必要だと、直感的に感じていた。結局、1ヶ月では達成できないのだけれど。

 

自分にとって就職活動は、色んな企業の人間と会話が出来る、ある意味貴重な体験だった。社会勉強とでも言うべきか。業種や業界は絞られてはいたが、世の中にある色んな企業を見て知っていくことは普通に面白いと感じた。世の中には色んな業界・様々な企業があるということが、その時よく分かった。いわゆる就職活動と巷で言われているイメージと、自分が実際に行った就活は、どこかかけ離れていたように思えた。ある意味、肩の力を抜いてやれていたのかもしれない。もともと大学院進学を目指していたこともあって、そこまで切迫感というか、絶対になんとしても内定取ってやる!みたいな切迫感はあまり正直なかった。普通に、就職期間中に友人たちと旅行したりもしていたくらいだ。

 

ただ、決してそれは本気で就活に取り組んでいなかったわけではない。就活に関しては何の準備も無く、完全にゼロからのスタートだったので、就活をすると決めた翌日から、大学内にある就職支援センターに言って、毎日のように個人カウンセリングを受けていた。履歴書の書き方から、面接時の応対の仕方まで。留学から帰ってきたあとでもあったので、その経験を全面に押し出して就活をしていた。短期間に集中して就職活動していた。これが正直半年とか、それ以上続いていたら、どうなっていたか分からない。就活で悩んでいる人は、そういった長期間によるスタミナ切れを起こしている人が当時少なくなかった。

 

ここでは書けないような紆余曲折もありながら、最終的には年内に数社から内定をもらった。海外との関わりのあり、英語が使える仕事だ。自分の当初からの小さな夢でもあったので、それがある意味叶った。昔から英語が喋れるということに強い憧れを持っていたからだ。自分の一次目標は達成した。

 

 

 

真意

実際、就活をする前に大学の教授やスタッフ、友人に色々アドバイスをもらったが、今思えば、大学院進学ではなく、就職して本当に良かったと思っている。

 

就職して初めて、自分で一人暮らしして、親などに頼らずに生きていくことがどれだけ大事か、本当に良く分かった。これは、これから大学院進学などを悩んでいる人達に向けて言いたいが、大学生や、大学院生というポジションがどれだけ甘やかされているか、ということがその渦中にいる間は本当に分からない。自覚出来ないのだ。

 

※因みに言っておくと、これは大学生や院生を否定している訳では決してない。在学中に起業したり、自分で稼いでいる人など、今の時代いくらでもいるし、それが出来る環境は現代には整っている。

 

何事もやってみないと分からない、とは良く言うが、就職・仕事というものは正にその中でもギャップが大きいものだと思う。今ならよく分かる、相談した大学スタッフの人が’、なぜ大学院進学を勧めなかったのか。大学院進学に否定的だったのか。自分はある意味、留学のポジティブな面だけを捉え、それにその後もすがりたかっただけなのかもしれない。

 

シャバは甘くない。思っている以上に厳しい。ストレスと困難の連続。

だからこそ成長できる。

自分の脚で地に立って歩く、とはどういうことか?それがわかる。

言葉にして伝わることもあれば、そうでないものもある。

自分で経験して、初めて分かることも沢山ある。

 

 

そして仕事というものは、「お金を払って何かを学ぶ」大学と違い、「お金をもらって何かを学べる」という特徴がある。何言ってんだと思うかもしれないが、より抽象次元にまで分解すると、間違ってないことが分かると思う。確かに、世の中の仕事の大半は基本的には雇われではあるが、食い扶持がある、という意味においては大学とは全く違うものだ。この考え方に気づいてから、仕事に囚われる、企業色に自分が染まってしまうという恐れは少なくなった。

 

 

そして最後に、自分が恐れていたこと、その組織・企業に染まって安住してしまうのではないか、ということだが、これはそうはならなかった。飽くまでも、自分の・人間の芯というものはそう簡単に変わらないし(これは留学中に泣くぐらいの経験を経て痛いほど学んだ)、自分に取り入れる情報を取捨選択すれば、自分の思考は自分の思い通りの方向へ持っていくことが、ある程度は可能だからだ。結局、人間は自分が今まで経験したもの・見聞きしたもの・感じたもの・それらの集合で成り立っている。であれば、それら自分に取り入れるものを、自分で変えたり、自分でコントロールすればいいだけの話だ。

 

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